鷹鹿よもやま話
ネットの浅瀬、とある石の裏側より

創作語りや、フォームからお送りいただいたご感想、お問い合わせへの返信を行います。

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頭の中で「ふわもこふりあんのテーマ」なるサンバチックな半インスト曲が爆誕しました。それがずっとエンドレスリピート状態なのでそろそろおかしくなりそう。
半インストなんていう中途半端な言い回しなのは、歌詞が全部「おわあ」だからです。どんな世界観だよ。
文字に起こしたら世界の因果律が書き換えられてこのエンドレスリピートから抜け出せるかもしれないと思い立ちましたので、ちょっと試してみます。
言うまでもなく様子がおかしいので格納。怖いもの見たさでゆっくりのぞいていってね!

前奏
ピーピーピピッ ピーピーピピッピッ(おなじみのリズムのホイッスル)×2
ドゥンチャカドゥンチャカ…(ホイッスルの裏にぬっと入ってくるドラム。一斗缶でも可) ×2
ドゥンチャカドゥンチャカ ドゥピッピッピッピ(ドゥピッピッピッピの時にもドラムは変わらず鳴っている)
ドゥドゥドゥチャーン ドゥドゥドゥチャーン ズダダダダダダン ッターン!(ズダダダダダダンの所でッピーーーーとホイッスル)

[ッターンの音に被せて鳴りだすサビ。主旋律はトランペット系。音の運びはゴエモンもののけ双六のタイトル画面と、大黒摩季の「OH-MENI-MITE-YO!!」を足して二で割った感じ]
おおっおっおーわっおー おおっわおーわっおー (ピーピーピピッ ピーピーピピッピ…)(タタンタッタッタ ドゥンタッタッタッタ…)
おわっわおわっわおわっわおわっわおーわっおー
おおっおっおーわっおー おおっわおーわっおー
おわっわおわっわおわおわおわお~~~ぅ

[ドラムとパーカッションのみの間奏(コールアンドレスポンスタイム)]
おーわ!(Call…) (おーわ!(Response…))
おーわお!(Call…) (おーわお!(Response…))
おわっわっわっわ!(Call…) (おわっわっわっわ!(Response…))
(Everyone…)お~~~~~~~~っわ~お!

[わ~お!に被せて再びサビ]
おおっおっおーわっおー おおっわおーわっおー
おわっわおわっわおわっわおわっわおーわっおー
おおっおっおーわっおー おおっわおーわっおー
おわっわおわっわおわおわおわお~~~ぅ

[締め]
お~~~~~~~~~(一番大変)()
わ~~~~~~~~~(お~とハモる)
あ~~~~~~~~~(お~わ~とハモる)
(ッパワワワワ~~~ンと小気味よく伸びるトランペットの音)
ドゥドゥドゥチャーン ドゥドゥドゥチャーン ズダダダダダダン
(Everyone…)おっわあ! ッターン!

<完>

各楽器とボーカルの重なりを表現するのが難しくて多少の妥協が見られますが、そもそもこんなん正確に書き表すことでもないだろと思った。
これでも全然収まってくれなかったらどうしよう。一斗缶小脇に抱えて、ホイッスルくわえて、ひっくり返すたびに「ウィミョ~~~~ン」みたいな音が鳴るおもちゃ腰に差してさ、カラオケボックスまで這って行って収録しなきゃダメとかなったら困るが。通報不可避じゃんか。畳む

よもやま話

SNSの運用について、個人的な心情の吐露とまではいかないけど、「ちょっと距離とるね!」という感じのお話です。
創作から一歩離れたいわゆる自我多めの記事だし、単純に長いので格納します。

まず、Misskeyの一次創作.designサーバー以外のSNSアカウントは、順次運用停止または削除することにしました。
具体的には、Misskey.io、Xfolio、支援とBooth目的で使用しているPixivです。しずかなインターネットはマイクラプレイ日記の連載がまだ途中なので、それが終わってから去就を考えます。
ちなみに、サイトのプロフィール欄に一時期記載していたBlueskyのアカウントはすでに削除済みです。

.designサーバーでの活動についても、かなり淡々としたものになっていくというか、現在すでに低浮上になっていますね。
今後は完成品の投稿と、サイトの更新を告知するだけとなり、それ以外でほぼ動かすことは無くなります。リアクションもほとんどしない壁打ちと呼ばれる状態になる感じです。
去年の今頃にも一度「SNSから距離取ります~」と言っていたので、「花粉の飛散が始まると全部投げ出したくなる性質なんかいなお前は」と自分でも突っ込まずにはいられません。

しかし、なにも衝動的に撤退を決めたわけではなく、個人サイトを作ろうと決意した段階で、こうすることは既定路線化していました。
Xfolioファンコミュの、昨年12月の記事と個人サイト開設告知記事でも、そういった趣旨のことを書いてました。

SNSは双方向的あるいは多方向的なやりとりの場ですが、主観的には多対一の構図になってしまうもの。
となると、自分が何かを出力するよりも、入ってくる情報のほうが圧倒的に多くなってしまうのは自明の理。少なくとも私にとってはそういう状況でした。すでにキャパオーバーかもしれないと、時々言い洩らしてもいましたね。
もとより私の脳みそは情報処理能力に秀でているとは言い難く、いつからか受け止めきれない情報だけがどんどんかさみ、出力にもおのずとネガティブな影響がおよんで、ただROMるのもしんどくなってしまいました。
そんな負のスパイラルに陥っている自覚は去年の半ばからすでに持っていたので、これを断ち切るためにはSNSをやめる方向で動く他ないだろうと判断しました。

> 活動の軸足はいつも個人サイトに置きつつ、その時その時で触れる情報を変えてみる。
> 交流したいときには交流し、傍観したいときにはROM垢から静かに眺める。
> 自創作を発信する自分と、誰かの創作を受け止める自分、それぞれの感覚を分離する。
> そして、ひたすらこつこつと、空いた時間に作品を作っていく。
> 活動二年目はそんな試みをして行けたらなと思っています。

上記は先ほど挙げたXfolioファンコミュの昨年12月の記事『あっという間の一年間と、これから先の一年間のこと』からの引用です。
まあ、心地よい距離感の測定を試みる以前の段階でしんどくなったのなら、これはもうどうしようもない。

しかし、とうのXfolioに関しては「これからも利用を続けていきたい」とかなんとか書いていたのに、たった数か月でそれを反故にすることになるので、ここだけは個別に理由をお話しておきます。
Xfolio版石のウラがわライフでは、トップページやガイドラインページへの、短時間で3ケタにも達する異常な閲覧回数が記録されることがありました。なんらかのクローラーによるアクセスが原因と思われます。
この問題にサービス内で利用できる対抗策を試そうと思い、ひとまずBot検出機能をONにしたところ、利用継続の根拠となっていたタグ経由での幅広いアクセスが、なんらかのBotによる無作為的なものだったのではないかという疑念が浮上する結果となってしまいました。
倉庫として利用することも考えましたが、諸般の事情でそれもNGということになり、いよいよもって利用目的を見失うに至ったので、完全撤退の決意を固めた次第です。
ありがとう、そしてさようなら、初代『石のウラがわライフ』……。

SNSの話題からは少し離れますが、オフラインイベントに関しても言及しておきます。
過去にTAMAコミやティアに出たい!と発言していましたが、これらは完全に撤回します。
『鷹鹿』という名義での活動範囲はオンライン上かつ趣味に留まるものに限定し、作品展示はホームページと.designサーバーだけという姿勢に振り切ろうと決心しました。
「得ざるものども」をはじめとした鷹鹿名義の作品は、基本的に物理書籍・グッズ化して頒布される可能性は低いと考えてください。※デジタル配信の可能性はあります
物理不存在をカバーするための個人利用範囲の明文化がある、なんて言いぐさは完全に後付けですが……まあ、もともと法律で認められている用途なので私が許可を出す出さないなんてのは変な話。
気に入った作品があれば遠慮なくご自宅で印刷してお気に入り作品集を作ってくださってもまったくかまいませんので、その点はご心配なく。
むしろインク代や用紙代を負担してまでも手元に置きたいと思ってもらえたら、それはとても名誉なことだと思います。
ちなみに、自宅に印刷環境がないなどの事情で、特定の作品をネップリ配信してほしいなどの要望があれば、Googleフォームからリクエストを送ってください。できる限りお応えします。

そういうスタンスなので、もし何かのオフラインイベントに出るとしても、鷹鹿ではない別ものとして出るだろうと思います。
それはサークル参加と一般という区別によらず、そもそもオフライン環境に鷹鹿という存在はいないし、いるべきではないだろうということです。それが自分にとって一番楽な形なので。
感想を伝えるにしても匿名のほうがいいのかも。今後はそうしようと思います。畳む


私がこれから本当に、個人サイトというネットの石の裏側にしか生息しない生き物になったら、この記事は役目を終えたということで削除します。予めご了承ください。

よもやま話

本を読みながら「得ざるものども」のストーリーをまとめています。
が、物事を端的にまとめるのが苦手すぎて、文章量がかさんでいくのに対し、年表は全くまとめられる気配がありません。
作中の年号は作ったんですけど、各歴史イベントの間隔は何年くらい空けたらそれらしいのかがわからないのと、出来事を書き表すのにちょうどいい表現をつかみ損ねているので、まだまだ道のりは遠いようです。用語集も同じ理由で進捗だめです。ははぁ。

その代わり、本編中の細かなエピソードをいくつか思いつくことができたので、妙な満足感に浸っています。
たとえば、フリアンがルドヴィックの言動に違和感を抱き始めたところから、ルドヴィックが置かれている状況の異質さおよび本来の人格についてとある仮説を立て、期せずしてそれを実証できたと同時に互いの信頼関係が一層強固なものになるまでの一連の流れとか。
いや~爽快だなこりゃ!だから考えるのって楽しいんだな!

そんな感じで、新しい知識体系を取り入れるかたわら、その産物であるやっつけ理論を援用しながら今まで溜めてきたエピソードの断片を検討してみたところ、余白の中にまったく気にしていなかった問いがおぼろげに見えてきたり、因果関係が新しく結びついたりして、自分の中のパラダイムシフトがわっしょいしょい。
結果的にはストーリーの軸がより定まる方向に作用しているのでいいのですが、実は思いのほかスリリングな体験に身を投じていたのかもしれないと感じています。
ただうつろな好奇心に誘われて、なんら一切の覚悟もなく、頼りない自我のひもだけを携えてレッツバンジーしてしまったようなものだったというか。
方向感覚の一切を喪失しかけて「助けてくれ~~~ッッッ!」と叫ぶ自分と、停滞から解き放たれたような無重力体験に歓喜して「おもしれ~~~ッッッ!」とはしゃぐ自分とに振り切り続けているみたいな。

一冊目に読んだ入門書が「文学理論[クリティカル・ワード]」で、文学理論とはそもそも何かに始まり、文学に通底する思想の変遷、主要な理論の成り立ち、重要な人物名と用語など、広範な知識を得ました。同時に今まで見てきた世界が根底から揺らがされるような衝撃と、それに伴う不安感の襲来があり、さっきの「助けてくれ~~~ッッッ!」状態に陥ったわけですが。もちろん「おもしれ~~~ッッッ!」とも思ってはいましたが。
で、その次に前述の書籍の中で紹介されていた「読んでいない本について堂々と語る方法」という、大変クールなタイトルの本に手を伸ばしてみたのですが、おそらくこれは(自分にとっては)大正解だったというか、理論を実践的に表現したユーモラスな筆致でもって、際限なくかつ深刻さを帯びて広がっていく思索の波をいい感じにやり過ごす方法を教えてもらえたようで助かりました。ここへきて「おもしれ~~~ッッッ!」がはっきりと優勢になった感じというか。あとこの本なんか……使えるもの全部使って著者の理論を鮮やかに実用しきっているので、そこが面白すぎていっそずるいまであります。読んでよかった!
これから論旨が重たく、比例して心も重たくなるであろう本の表紙を開くわけですが、知識を得たときに自己世界が受ける不可避の衝撃をなるべく低減できるよう努めながら、自分の中の規範が覆っていく過程を楽しんでいきたいと思います。

文字を読んでいると文字を書きたくなる。読んでいる人は同時に書いているとは、感覚的にはこういうことなんだろうか。
とにかくどんどこ読んで書いての日々を過ごすのが今は楽しい。そんな感じです。ではまたね!

よもやま話

創作についての漠然とした悩みを抱えていた折、縁あって知った文学理論の入門書を読み始めたのですが、
半分ほど進んだあたりで「これは今まさに一番必要な知識じゃないか!!!」と気づき、いてもたってもいられなくなって図書館へ走りまして、
書中で紹介されていた資料の中から特に気になった3冊を借りてきて、横断的に学習態勢を取っています。

いろいろ描きたいとか言ってたけど、創作活動はちょっとお休みです。

冒頭で示した漠然とした不安の正体は、おそらく「自分が表現を通して誰に何を伝えたいのか、それを明文化できないもどかしさとうしろめたさ」なのでしょう。
自分の思考傾向からしても、明らかに、社会のあり方、個人と社会のかかわり方について関心があるのは間違いないんだけど、前提知識が足りなさすぎるというか、そんな感じ。
物語を描くとき、哲学的な前提情報がどうしても足りなくなることはいくらか仕方ないとしても、無自覚のうちに深刻な倫理的間違いを犯すことはできる限り避けたいな、という思いが常にありまして、それが言い訳みたいに作用してしまって本編制作からの逃げを打たせている、気がする。
架空の世界の出来事としてであっても、特定の目的意識のもとに発生した社会運動を描く上で、基本的人権や平等権という人類史の重要なファクターを素通りしてしまうのは、相当まずい。

文学、ひいては芸術文化が、脈々と受け継ぎながらも深化させてきた思想について、真正面から取り組む意義が、未だかつてないほどの重量感をもって私にのしかかってきているのを感じます。
文学理論を通して倫理や哲学といった理論の深遠な意義の一端に触れることによって、まだ言語化できないけど確かに自分の中にある違和感のような「何か」をすくい上げ、創作に活用できたらいいなぁと、そんな風に考えるのでした。
面白い。文学理論。

追記
勉強中は漫画やイラストは作らなくなるけど、用語集や簡易キャラクター紹介は用意する……かも……。

よもやま話

物語に感情移入してしまったときに困ること。
少しばかりばっちぃ話なので伏せますね。

ストーリーラインを深掘りしていると、キャラクターの苦境や挫折、そこからの再起を具体的に詰めることになるわけですが、
まあ~~~キャラの内面考察中は涙止まらんし鼻水止まらんしでティッシュの消費量がとんでもないことになります。しんどい。
こうなるたびに「ティッシュもったいないな~エコじゃないな~」とゲンナリするのもまたしんどい。
やっぱあれですかね。デカめのタオルか、いっそのことバスタオルでひとしきり受け止めてからに、落ち着いたら洗うってのがベストなのかな。
本当にツボに入るとダメなんですよね、す~ぐ泣いてしまって。客観性を持って物語を見れているかどうかも心配になりますし。

それから、泣きすぎによる脱水で頭痛が生じるのもしんどいので、さっさと直すために効率よく電解質を摂取できるドリンクを確保しなければならず、これもまた面倒くさい。
タイミングによってはすぐ手元に用意できないんですよね。しかも飲みすぎるのも健康上よくないし!

エシカルな号泣創作活動、なかなか難しい問題だと思いませんか。それとも「なんのこっちゃねん!」ですか。畳む

よもやま話

ギャグシーンではキャラクターの造形をどこまで崩していいのかわからん顔をしています。
イメージから乖離したほうが断然面白いと思うのだけど、やりすぎると絵面がきつくてくどくなるし、作品全体の傾向が迷子になりそうで悩ましいですね。
「得ざるものども」は一応不穏・シリアス多めの表記をしていますが、サブストーリーは割とギャグばっかりかも知れない……。

よもやま話