【得ざるものども】地図を作ったよ!~フェガティア都市内部編~ その④ この投稿は、クロスフォリオのファンコミュニティで2025.10.08に公開した創作設定語りの移植版です。 可読性向上のため、内容をいくつかに分割してお届けします。 ※創作物の性質上、時代錯誤な価値観、深刻な人権侵害の描写、ややブラックなツッコミ等、一部不適切な表現が含まれます。あらかじめご了承ください。 【旧市街】 ※この項目内には重大な疾患の具体的な症状や惨事の現場、死についての描写が含まれます。 まず、旧市街地は本来もっと中心地のそばまで広がっていました。建物はもともと石造りだったので、火事で焼失することもありませんでした。 なので、食と仕事を求める人々の住まいとして大いに活躍したのですが、そこへ無情にも疫病が大流行します。 この疫病、本来の感染力はそこまで強くないのですが、食糧不足による人々の免疫力の低下と、生存圏の不足による特定地域の人口過密が合わさり、異常な致死性の高さもあって、全世界に甚大な被害を及ぼしました。 貴族、庶民関係なく多くの人が感染し、高熱、下血、全身のただれなどの症状に苦しんだほか、一命をとりとめても神経損傷による顔面や身体のマヒ、赤黒くてゴツゴツとした皮膚の異変を伴うアザ等の後遺症が生涯残るため、それらを苦にして自ら命を絶つ者もいました。 未曽有の事態を前にして、以前は反目しあっていた教会と医療従事者が協力し合い、治療と感染防止策の策定に奔走します。 まず共同体の重大な意思決定を行う貴族たちを現在の勝利門より北へと隔離。それ以外の市民を街中に留めて対策を講じていくことになりました。(市内の区分けにも影響) 隔離施策によって貴族の感染状況は落ち着きを見せたのでした。 しかし、市中ではその後もずっと疫病が猛威を振るい続けます。 まだ大きな病院もない時代。医療品と人手も不足している。そんな中、どこが医療施設として開放されていたのでしょうか? 市内南西に位置する墓地エリアのあたりをズームでご覧いただきましょう。 かつて、この灰色で示されたエリアいっぱいに、敷地の三分の一を占める立派な聖堂がありました。残りの土地にはよく手入れされた墓地が広がっていたとされています。 アウローラ広場の大聖堂がある区画と比べて、その大きさが一体どれほどのものだったのか、なんとなく想像していただけたら嬉しいです。 疫病流行の最中、この大聖堂を所有する某教会のとある宗派は、ここを病院の代わりとして開放することを決めました。 大いなる主の御心の元、どんな人でも受け入れ、回復を祈り、その身を清め、聖職者たちに与えられる数少ない食事さえも患者に優先して回しました。医療従事者が行う投薬等の科学的な治療行為も積極的に手助けしました。 そんな献身もむなしく、疫病流行の末期には、大聖堂はもはや病院ではなく遺体安置所の様相を呈していたといいます。 遺体を埋めるために墓地全体を掘り返しても土地が足りず、敷地内だけではなく旧市街の通りにも行き場のない遺体があふれ、地域一帯の衛生環境は最悪を通り越して地獄の様相に……。激しい汚臭と疫病とは別の感染症が問題となるほどでした。 それから間もなく治療薬が開発されて疫病の脅威が去り、短い争いを得て身分制度が確立されたあと、使い捨ての労働者たちの手で旧市街の清掃活動が行われ、山のような遺体は荒野の一角にすべて埋葬されたことで、このエリアの衛生問題はようやく収束したのでした。 その⑤へ続く 2026.1.22(Thu) 18:00:00 創作語り
この投稿は、クロスフォリオのファンコミュニティで2025.10.08に公開した創作設定語りの移植版です。
可読性向上のため、内容をいくつかに分割してお届けします。
※創作物の性質上、時代錯誤な価値観、深刻な人権侵害の描写、ややブラックなツッコミ等、一部不適切な表現が含まれます。あらかじめご了承ください。
【旧市街】
※この項目内には重大な疾患の具体的な症状や惨事の現場、死についての描写が含まれます。
まず、旧市街地は本来もっと中心地のそばまで広がっていました。建物はもともと石造りだったので、火事で焼失することもありませんでした。
なので、食と仕事を求める人々の住まいとして大いに活躍したのですが、そこへ無情にも疫病が大流行します。
この疫病、本来の感染力はそこまで強くないのですが、食糧不足による人々の免疫力の低下と、生存圏の不足による特定地域の人口過密が合わさり、異常な致死性の高さもあって、全世界に甚大な被害を及ぼしました。
貴族、庶民関係なく多くの人が感染し、高熱、下血、全身のただれなどの症状に苦しんだほか、一命をとりとめても神経損傷による顔面や身体のマヒ、赤黒くてゴツゴツとした皮膚の異変を伴うアザ等の後遺症が生涯残るため、それらを苦にして自ら命を絶つ者もいました。
未曽有の事態を前にして、以前は反目しあっていた教会と医療従事者が協力し合い、治療と感染防止策の策定に奔走します。
まず共同体の重大な意思決定を行う貴族たちを現在の勝利門より北へと隔離。それ以外の市民を街中に留めて対策を講じていくことになりました。(市内の区分けにも影響)
隔離施策によって貴族の感染状況は落ち着きを見せたのでした。
しかし、市中ではその後もずっと疫病が猛威を振るい続けます。
まだ大きな病院もない時代。医療品と人手も不足している。そんな中、どこが医療施設として開放されていたのでしょうか?
市内南西に位置する墓地エリアのあたりをズームでご覧いただきましょう。
かつて、この灰色で示されたエリアいっぱいに、敷地の三分の一を占める立派な聖堂がありました。残りの土地にはよく手入れされた墓地が広がっていたとされています。
アウローラ広場の大聖堂がある区画と比べて、その大きさが一体どれほどのものだったのか、なんとなく想像していただけたら嬉しいです。
疫病流行の最中、この大聖堂を所有する某教会のとある宗派は、ここを病院の代わりとして開放することを決めました。
大いなる主の御心の元、どんな人でも受け入れ、回復を祈り、その身を清め、聖職者たちに与えられる数少ない食事さえも患者に優先して回しました。医療従事者が行う投薬等の科学的な治療行為も積極的に手助けしました。
そんな献身もむなしく、疫病流行の末期には、大聖堂はもはや病院ではなく遺体安置所の様相を呈していたといいます。
遺体を埋めるために墓地全体を掘り返しても土地が足りず、敷地内だけではなく旧市街の通りにも行き場のない遺体があふれ、地域一帯の衛生環境は最悪を通り越して地獄の様相に……。激しい汚臭と疫病とは別の感染症が問題となるほどでした。
それから間もなく治療薬が開発されて疫病の脅威が去り、短い争いを得て身分制度が確立されたあと、使い捨ての労働者たちの手で旧市街の清掃活動が行われ、山のような遺体は荒野の一角にすべて埋葬されたことで、このエリアの衛生問題はようやく収束したのでした。
その⑤へ続く